看護学部やめました
ゆうこばです!
これは11月?12月?くらいに書き終えた記事なんですけど、今更ちょっと手直しをして世に放出します。
タイトルの通り、看護学部をやめました。そして、新しく社会学部生になりました!
元の文章を書いているときはまだ確定していなくて迷っている段階だったのですが、結果、前セメスター中に変更の手続きを終えて、現在2020年春学期、社会学部生として授業を受けています。
看護留学の情報を知りたくてこのブログを見てくれていた方もたくさんいると思います。今後は現役看護学生ではなくなってしまいますが、看護留学にまつわる情報はここ数年でかなり仕入れてきたので、引き続き記事にしていきたいと思います!
それでは!
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はぁ〜〜〜!!!最近まじ悩んでたわ〜〜〜!!!!ずっとこの事悩んでたんだわ〜〜〜!!!
あ。ワシントン州立大学のゆうこばです。前回の投稿で、次回話したいことがあるみたいなこと言ったと思います。それが、今回のブログです。
しばらく前に書き終えた記事なのでまたアップデートしたい情報があるんですが、まずはこちらから読んでもらえると嬉しいです。
それでは〜〜!
↓↓↓
改めまして、このブログでは、アメリカ看護留学を記録しています。少しでもアメリカ留学やアメリカの看護について興味がある人に読んでもらえたら嬉しいなって思って書いてます。
...なのですが。
すみません。看護学生3年目の今。実は看護学生やめようかと思っています。
私の理由やら言い訳やらをここにつらつら書くのでどうか読んでやって下さい。私の気が済みます()
理由1:単純に大変
こんなの最初っから知ってるだろって感じですよね。もちろん、知ってました。
でも、ここの大学で3年生(専門課程)に上がるための条件が色々あり、その中で最も私を悩ませたのが、
・専門課程合格者平均GPA3.8
・TEASテスト
・医療ボランティア経験50時間以上
です。
まず平均GPAが3.8って何事って感じですよね!私がブログを書き始めたのはヘストンカレッジに行き始めてからなので、ずっと読んでくださっている方は「お前成績だけはあるんじゃねえの?」って思ってるかもしれません。
確かに、ヘストンでは1年通ってNutritionでBをとった以外全部Aだったので、GPAは3.9でした。
とはいえ、ナーシングとして進んでいくためには基本オールA取らなきゃ無理なんじゃないかっていう計算。
...オールA以外道がないってどういうことって感じ!!!
ちなみにワシントン州立大学では単純にA, B, C, D...ではなく、プラスとマイナスもあるんです。
Aが4なのはもちろんなのですが、Aマイナスはなんと3.7。オールAマイナスじゃあ専門課程に上がれる平均点に達成できないんです、、。
しかも、多くのクラスが90~94点がAマイナスで、94点以上がAになります。つまり基本全部94点は取らなきゃいけない計算。
きっつ〜〜〜〜!!!!
まずそこで心折れるし、TEASテストもある。TEASテストは、いろんな看護系の大学で受験を要求される、解剖生理学・数学・英語のテスト。これも〇〇点以上じゃないと出願資格なし、みたいなのがあってかなりだるい。
で、極め付けがボランティア活動。もちろん私だって医療ボランティア活動はしたい!勉強になるし、患者さんと関わったり看護師さんの働いてるところを間近で見れる機会ほしいって、普通に素直に思う!
でも、今セメスター中に50時間って普通に厳しいって〜!!成績取らなきゃいけないから四六時中勉強だっていいくらいなのに、ボランティアって〜〜!!しかも、大学の近所の病院はボランティアいっぱい過ぎて募集中止してるし!!無理じゃん!!(笑)
...これらのこと、本当だったらわざわざ1セメスターに詰め込まなくたっていいんです。でも私はトランスファー生で、かつ2020年秋学期から専門課程に入りたかったので、2019年12月の出願締め切りに間に合わせなければならず。
...無理〜〜〜〜〜!つら〜〜〜〜〜!!助けて〜〜〜〜〜〜〜!!!と毎日思っていました。それが、看護やめよっかなって発想が生まれたきっかけでした。
理由2:社会学がおもしろい
そんな感じで、看護学部の勉強を始められないもどかしさ、ハードルの高さにモヤモヤする毎日。しかし、単位を取らない訳にはいきません。看護学の専門課程に上がる条件に、他に「UCORE(大学共通の卒業に必要な科目)」を取り終えなければならない、というものがあり、その中のひとつに「Sociology(社会学)」のクラスがありました。ですので今セメスターはこのクラスも受講しました。
このクラスの中で、Sociological Imaginationってことについての勉強しました。その勉強の中で、殺人をした人が全く自分がしたことを悪いと思っていないっていう話が例として取り上げられました。それってなんでかっていうと、殺人した人はそういう治安悪いことが普通に起きるところで育ってきて、自分の兄弟がレイプされたときも警察が助けてくれなくて...っていう、そもそも私たちが当たり前に生活していく中で得るべき感性を得る機会が与えられなかったからなんです。物の良し悪しを知らないんです。
こんな感じの様々な例から、個人の問題と社会問題の違いの話を色々と考えたりすることがとても楽しくて、ちょっとSociologyの教科書を雑誌見るみたいにパラパラ読んだりしました。
単純に、社会学の勉強の面白さに気づいてしまった感はあります。
で、これに気づいてしまった上で、元の「看護学に興味があった理由」を考えたんです。
私が看護学をやりたかったのは、私なりの健康に関する考え方があったから。
それを一言で言い表すことはボキャ貧の私には難しいんですが、
・みんなQOLあげようぜ!
・ストレスフリーに生きようぜ!
・もっとハピネスに生きること大事にしたっていいんじゃない!
って感じのことを看護師という立場でやりたかったんです。普通の臨床だと「病気の患者さんのケアをする」のがメインだから、いつか大学院に行って学問としての看護学を極めたいと思っていたし、でも同時に看護師としての臨床経験も持ちたいと思っていたんです。看護の本質ってきっと病気の人だけじゃなくて全ての人を対象としていると思ったし、QOLも密接に関係している分野だと考えていたから。(看護そんなに詳しくないのに急に語り出す隠キャですみません)
でも、このQOLの低さやストレスの原因って、普通に個人の問題じゃなくて社会問題じゃないですか??
一人一人に「あなたはこの会社で働くのはストレスたまるからやめましょう!」って言うのもいいけど、そのストレスを作ってる原因は会社だとして、その会社のあり方を普通だとしてるのは社会だとしたら、それって普通に社会問題じゃん!原因はお前じゃない!お前は悪くないよ人々!
って思ったんですよ。
そんな視点で社会学の教授の研究見てみたら、まあそんな感じのこと研究してる人いっぱいいて。
...あれ?私の考えには看護学からより社会学からのアプローチのが近くね??
って思ってきてしまった。わかんないけど。もっとちゃんと社会学系の本とか読んで見たいかもしれない。勉強別に好きじゃないけどそんな気分にちょっとなってしまっている自分がいるのは許してあげていいんでしょうか!(笑)
そんな感じ。
そんな感じで社会学部に専攻を変えてしまいました。
私的には、「みんなでQOLあげて楽しく生きようぜ!」なスタンスを変える気はありません。生きやすい世の中作りに貢献する方法を、こっちのルートから考え直して生きたいと思います!
たくさん悩んだ2019年秋学期でしたが、2020年春学期現在、とってもいい選択したなあと思っています!授業内容が面白いんです。
若干ネガティブ要素も否めない決断だったけど、これからもっと人生面白くしていこうと思っているので、ブログ読んでくれている方はこれからもよろしくお願いいたします!!!
ゆうこば
ワシントン州立大学で秋学期が半分終わりました
こんにちは〜お久しぶりすぎのゆうこばです。
現在10月14日、秋学期がこの間ちょうど半分終わったみたいです。まずアメリカ戻ってたんか〜い!って、ブログだけ読んでる方は思いますよね。すみません(笑)
しかも今回のブログも9月に「ワシントン州立大学で授業2週目が終わりました」ってタイトルで書いたやつです。以下いじらずにそのまま更新します。なぜかと言うと、ちょっと私の中で大きな決断をしようとしていて、もう次のブログ記事も下書きしてあるんですが、ちょっとその前に前提としてこれを読んでもらいたいからなんです。図々しくてごめんなさいてへぺろ。
と言うことで、9月に書いたブログです。どうぞ!↓↓↓
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前回更新したのがいつだか覚えてないし内容も覚えてないけど、とりあえずSNS見てくれてる人は知ってると思いますが、新しい大学に入学しました!
その大学は、「ワシントン州立大学」です。ワシントンはアメリカ西海岸のカナダ寄りの州で、シアトルがあることで有名です。
って言うとみんなに「ゆうこばはシアトルの大学に行ってるんだね〜」って言われるんですけど、私の大学があるのはプルマンと言う小さな町。シアトルからだと飛行機で1時間、車で5時間ほどのところです(笑)
次回からはちゃんとお役立ち情報有りの内容のブログにしたいんですが、今回はまじでただ喋りたいこと喋るので気が向いた方読んでください〜!
あでもナーシングでアメリカ留学考えてる人は「そんなことあるんだ」って思ってもらえるかも?
授業始まって2週間目が始まりました
とりあえず色々喋り出す前に、今の状況簡単に話します。
大学に入寮したのは8月10日。そこからオリエンテーションやらイベントやらがたくさんあり、つい先週の8月19日に授業が開始しました。
ちなみに最初に私が取ったクラスは、こちら↓
- 中国語入門 (4 credits)
- 社会学入門 (3 credits)
- 歴史的なやつ (3 credits)
- 生化学 (4 credits)
- コーラス (1 credit)
- 日本語会話クラスのTA (1 credit)
最初の週はほとんどシラバスについてと教科書のチャプター1の内容なのでそこまで重くはなく、課題もまだまだ余裕がある感じ。マジで大変なのは化学くらいです。
オリエン期間は毎日行く場所行く場所で友達ができるし友達に会えるしって感じで楽しいだけだったんですが、やっぱ授業が始まると大変。余裕あるとはいえど授業の前に教科書読んでおかなきゃいけなかったり、課題把握しなきゃいけなかったり、授業の他にも医療系学生必修のイベントがあったりしてなんだかんだ追われています。
ただ大教室の授業がほとんどなので、私としてはとっても気楽。困ったら後で聞けば良いし授業中のプレッシャーが少ないのでそこは最高です。
専門課程に上がる選抜
今回私が愚痴?りたいのが、専門課程に上がる前の選抜に関して。看護学部は他の学部と違い、3年生(専門課程)に上がる前に選抜があります。その選抜の主な条件は、
・規定の基礎科目を受講していること(看護学生用のものと大学共通の卒業条件のもの)
・良いGPAを持っていること(去年の合格者平均GPAは3.8だったらしい。ほぼオールA...)
・病院でのボランティア/仕事の経験が50時間以上あること
・推薦状
・TEASというテストで一定以上の点数を取ること
です。
で、この基礎科目が大学や州によってまちまちなので、私がヘストンの時そのままヘストンの看護過程に上がる前提で受講していた科目と互換性が100%あるわけではなく、追加で人類学や社会学、歴史、化学なども受けなきゃいけなくなってしまったんです。
でもこれは最初からわかってたことなので、まあまあやってやるかって感じ(笑)
私がこの大学で専門課程に上がるために絶対に受けなきゃいけないクラスが17単位分あったので、今回の秋学期に全部受けようと思えば受けられたんだけど、どっちにしろ春学期から始まる専門課程の申し込みはもう終わってしまっていたので、アドバイザーの人と相談して今セメスターに半分、来セメスターに半分に分けることにしました。
で、必要な科目の他にずっとやりたかった中国語やコーラス、日本語クラスのTA(先生のアシスタント)をやることにしました。
ところが!!!!!
昨日見つけちゃったんです。ウェブサイトにとある決定的な文章を。それは
「大学共通の卒業条件のクラスは、専門課程に出願する前にとっておかなきゃダメやで〜〜」
というもの。
えええぇ〜〜〜〜〜??履修組む時に言ってよ〜〜〜〜????何のためにわざわざナーシングのアドバイザーに履修相談してると思ってるん〜〜〜〜〜〜〜?????
って思いつつもぐっとこらえて。
大急ぎで泣く泣く中国語をドロップして人類学を追加したのが一昨日の話です。
なので、新しい授業リストは↓
- 人類学入門 (3 credits)
- 社会学入門 (3 credits)
- 歴史的なやつ (3 credits)
- 生化学 (4 credits)
- コーラス (1 credit)
- 日本語会話クラスのTA (1 credit)
おかげで教科書無駄に買ってしまったし。こっち教科書1冊100ドル以上平気でするからマジで勘弁でしかなかったけどもうそこはしょうがない(泣)
で、この辺のことについてもう一回アドバイザーに直接相談したいなって思ってオフィス行こうと思ったら「予約してね」って言われてしまったのでおととい予約しようとしたら、なんと火曜日まで予約が取れず!!
明日やっとアドバイザーに会いにいけます。
ヘストンの時はいつでも行けたのにな〜〜〜。便利だったなあ〜〜〜。
まあ大きい大学だからしょうがない...。明日どうなったか、後日またブログ更新します。
後オリエン期間のこととかもまた別で更新するのでよろしくお願いします〜〜。
ゆうこば
今、私は日本にいます
こんにちは、ゆうこばです。
前回までの記録ではペンシルバニア州にある大学に編入した件に関してお話ししていましたが、タイトルにもありますように、今私は日本にいます。(笑)
えっ?
と、思った方。期待に沿った反応をありがとうございます(笑)
どういうことかと言いますと、Gannon大学、やめてきました。
...はい、そうです。入ったばかりの大学を1ヶ月を待たずしてやめて帰国してしまいました。「お前この間慶應やめたってお涙頂戴な記録残してたくせに意思弱えなあ!」と、お思いの方。お願いします最後まで読んでください(笑)
また、SchoolWithという留学系のサイトでアメリカ看護留学の連載をさせていただいているのですが、そこにGannon大学中退の件について、実体験を踏まえて「編入の際に気をつけるべきこと」にフォーカスして書いたので、そちらも合わせて読んでいただけたらと思います。
今回の記録では、記憶の限り細かく、体験したことを書いて行きたいと思います。
本編までが長くなりましたが、それでは聞いてください
”聞いてた話と違う”事件。
学生ページにログインできない!?
20日の夕方にGannon大学に到着し、最初の朝を迎えた21日。
この日は、午前中にグローバルオフィスに出向いてチェックインするように留学エージェンシーから伝えられていました。朝身支度を済ませてオフィスに行くと、簡単な書類を書きチェックインが完了。
そのまま隣のオフィスに連れて行かれてネットワーク関係のことをやろうとしたのですが、何か問題が起きてしまったようで私の学生ページのログインIDとパスワードがわからないと言われました。
...まじかよ。
だってアメリカの大学では(多くの日本の大学でも多分そうですが)学生ページを通して様々な情報が入ってきますし、そのIDやパスワードを使う機会が多くあるのです。
つまりこれによって私が制限されたのは、
・マイページのログイン
・大学メールの利用
・大学Wi-Fiの利用
・授業関連の確認
・お金の支払い
です。でも「明日までになんとかする〜」と言われたので、まあトランスファーもギリギリに決まったししょうがないなあ、って思ってその時は授業リストだけ頼んでプリントしてもらいました。この授業リストには、授業コード、教授名、開講曜日及び時間、そして教室番号が書かれていましたが、授業の正式名称は書いていなかったので、授業の大まかな予想はついても厳密に授業の詳細は分からず、もちろん教科書の購入もこの段階ではできませんでした。
続きを読むGannon大学へ編入!【到着編】
こんにちは、ゆうこばです!
前回の記事でGannon大学に来るまでの経緯をお話ししましたが、今回は羽田出発からのGannon大学着いてからのことをお話しします。
前回のを読んでない方は是非先にこっちを見てもらえると状況わかっていただけるかと思います。
Gannon大学へ編入!【準備編】 - ゆうこば 看護留学の記録
続きを読むGannon大学へ編入!【準備編】
こんにちは。ゆうこばです。
色々あって、何をブログに書けばいいかわからずにいました。(笑)この際もうあったこととりあえず書きます。隠すことは特にないので。(笑)
これが留学のリアルだと思うので、留学を考えているだれかの役に立てたら嬉しいです。
Hesston Collegeをやめました
はい。そうなんです。実は、Hesston Collegeをすでにやめてしまいました。でも中退ではなく(中退とほぼ同じだけど)、次の学校に編入したんです。編入先は、ペンシルバニア州にあるGannon University(ギャノン大学)。私立の総合大学です。
というのも、そもそも日本で大学に行っていた頃の単位も合わせるとHesstonに移行できたものだけで合計33単位あり、Hesstonで受けた授業の単位が31単位、そして夏休みにBarton Community Collegeと言うコミカレのオンラインコースで受講したものが4単位で、合計68単位がありました。日本で慶應義塾大学に通いとった単位の中で英語等のものは移行できなかったため、実際のところはもっと単位持ってるんだけどなあ(小声)、って感じですが、それは言っても仕方ありませんよね。
で、アメリカはFreshmanやSophomoreって表現はもちろん使いますが、その概念は単位数を元にしています。
つまり...?
そう、私は単位数的には少なくともSophomore, 二年生が終わった段階なのです。
しかし、Junior, 三年生になると、すぐにコアクラスが始まってしまいます。そのコアクラスを受けるためにはGeneral Educationが完了していなければならず、その基準は各学校や州によって異なっています。単純に単位数が60単位を超えているからといって、すぐに三年生でとるコアクラスを受けることができるとは限りません。
とはいえ、編入先を見つけられるのであれば、何も無理にHesston College卒業して準学士号とる必要もないかな、と思いました。
いつか記事に書いたかもしれませんが、私は日本からの単位の移行もHesstonにできていたため、Hesstonは合計3学期で卒業できる予定でした。ですので、その可能性を残したまま、編入の相談をしにとある留学エージェントを訪問しました。
留学エージェントにて、衝撃の提案!?
留学エージェントへは、夏休みに日本に帰国している間に訪問しました。そこで、この旨を話すと、
「この秋学期からの受け入れに、もしかしたら間に合うかもしれませんよ』
...衝撃ですよね。さすがに次の学期はまだHesstonに戻る気満々で、荷物もみんな置いてきてしまってましたから。
「それって、残り2年間で卒業できるってことですよね?」
「はい」
「60単位持ってますもんね」
「はい、今までは成績をとることに集中してきたようですが、これからはNCLEX(アメリカ版看護師国家試験のようなもの)の勉強に専念できますね」
このような展開で、一度持ち帰ったもののやはり考えても好都合だと言うことで事務所初回訪問から約1週間後には本格的に動き始めていました。
とはいえ、それが6月末。とっくに入学者も決まっている段階だったので、エージェントが直接大学と連絡を取ってくださり、キャンセル待ちをすることになりました。
願書の準備
編入とはいえ、大学は選抜を行うわけですからこちらも提出書類の準備をしなければなりません。
大急ぎで高校や日本の大学に足を運び英文成績証明書の手配をし、ネットからHesston Collegeの英文成績証明書も手配。志望理由書であるEssayも書き、去年健康診断をしたり注射を打った病院に去年のもののコピーをもらいに行ったりと、そこそこ大変でした。家族にも英文残高証明書を出してもらったりしなければならなかったし、保険も1年で更新しなければならなかったので比較的バタバタしました。
これは高校に書類を受け取りに行った時に記念に高校のチャペル前で撮影したものです(笑)
夏はアルバイトをしたかったのですが、日本帰国も急だったしいつアメリカに戻ることになるかわからない状態が続いていたのでできず。遊びの予定もあまり入れないようにしていたのですが、本当によかったと思いました。予定が入っていたらこんな風にすぐに書類を集めたりする時間は作れませんでした。
こうして書類をかき集めて提出をしたのですが、キャンセルがなかなかあかず、初めは
「7月の最初くらいには結果出ると思うよ」
なんてエージェントから言われていたのですが、そんなこんなで7月も終わってしまいました。
合格通知
合格通知が来たのは、8月に入ってからでした。エージェントは多分いいお返事がもらえると思いますよ、なんておっしゃっていたけれど、もうギリギリすぎてHesstonに戻るだろうな、とも思いかけていた頃でした。
しかも、とっくに日本からWichita(Hesstonの最寄りの空港)までの航空券を取ってしまっており、それが8月11日でした。合格通知が来たのは8月に入って割とすぐだったのですが、行く先の大学のI-20という書類がないと入国できないので、Gannon大学からそれが届くのを待たねばなりませんでした。
でも、Gannon大学としても書類に関して動き出せるのは私の合格が決まってから。8月が始まってからやっと書類の準備が始まったのです。
Gannonから送られて来たトランスファーフォームを自分で書き込み、スキャナーで読み取ってHesston CollegeにEメール。それをHesston Collegeが書き込んでGannon Universityに送ってくれて、そこからやっとGannon UniversityはI-20を発行することができます。
I-20はEメールで送られて来たものをプリントアウト、というわけにはいかないのでアメリカから日本まで直接送ってもらいました。それを送ったのがなんと8月10日、私のフライトの予約の前日でした。
10日にエージェントの方と電話をして、どう考えても11日のフライトには間に合わないので変更することにはなるとのこと。その時は私がいつGannonに入寮することになるか決まっていなかったのですが、数時間後にまた電話が来て、20日に入寮することが決まりました。そのため、18日にフライトを変更して一度Hesston Collegeに行き、Hesstonに置いて来た荷物をまとめて(郵送準備をして)、20日の早朝5時ごろにWichitaを出発してGannon UniversityのあるErieという街に向かうことになりました。
考えようによっては、11日に終わると思っていた夏休みが突然「夏休み1週間延長です!」ってなったようなものなので、ラッキーといえばラッキーでした。
でも、ギャノン大学に入る人たちはもうとっくにオリエンテーションが始まっているのに私は急展開だったためオリエンに出席もできず、苦労したのはその後の話です。
そんなこんなで、私は今なぜかペンシルバニア州のGannon University(ギャノン大学)にいます。
この後の話のが厄介だったので、また更新します。
ゆうこば
夏休み、緊急帰国
ご無沙汰しておりました、ゆうこばです。
もう夏休みが始まり、折り返しの時期です。更新、サボり過ぎました汗
いや、本当に帰国も急で、大変だったんですよ〜
その時の話しますね。
当初の予定
アメリカの夏休みは、約3ヶ月間もあります。長いですよね。それだけあれば、何か有意義なことをできるんじゃないかなって考えて、あることを思いつきました。それは、、、
「准看護師の資格をとること」
です。ちょうど12月に今のHesston Collegeを卒業見込みだったので(卒業見込みの時期が当初の予定より半年早まったことに関しては、また改めて書きますね)、OPTという卒業前後の一定期間留学生もキャンパス外で専門分野であったら仕事していいよ!みたいな制度を利用して次のセメスターは働こう、と考えたのです。看護学生が専門分野で働く方法で、パッと思いついたのが准看護師でした。
アメリカでは准看護師の資格は夏休みの期間にスクールに通ってパパッと取れちゃうくらい簡単なので、それに向けて準備を進めていました。
母からのLINE
学期末テストが終了し、そろそろ部屋の荷物をパッキングするか〜、と思いながらもまだだらけて何もしていなかった頃、母からあるメッセージが届きました。それは、親戚の突然の訃報でした。
当初はまだアメリカに残って准看護師の資格をとる予定でいたので、日本への航空券はとっていない状態でした。そのため、まずは航空券を手配しなければならず、しかし急であるためかなり高額になってしまうかなあ、と覚悟していました。
しかし、もしかしたら保険が効くかもしれないとちょっと期待して、保険会社に電話してみました。でも、私のプランでは一切保険では対応してもらえないと言われてしまいました。オプションに入っていれば保険がきいたようでした。
保険は諦めて、次は航空会社に電話して見ました。事情を伝えると、なんと!!
その場合は安く対応していただけるとのことでした。翌々日の航空券をスムーズに予約してもらうことができました。金額は、いつも早めの時期にとっていた時と同じくらいの額で対応してくれました。本当にありがたかった!!言ってみるものですね!!
荷造り
そこから大変だったのは、何と言っても荷造り。
ただの荷造りではありません。ちょうど学年末の時期で、全員が寮から出なければならない時期だったので、部屋中の荷物を段ボール箱に詰め、大学地下にある部屋に指定の時間内に運ばなければならないのです。
ああ、この時は本当に大変だった!
これが詰めた荷物の一部です。
もう一度言います。
一部です!!(笑)
飛行機をとったのが前々日の夜だったので、その日の夜はほとんど寝ずに荷造りし、そのまま翌日も荷造り(途中でピザ食べに行ってしまったけど)。いちにちで室内全てのものを詰め、日本に持ち帰るものを選別し、家具を入寮時の位置に戻して、掃除もしました。そうして、キャンパスを出る時間はフライト時間の都合上、早朝4時でした。なので、12時とか本当に深夜の時間に全ての持ち帰る荷物の準備が完了後、寮の共同エリアで、なんとか4時まで起きて頑張りました。
日本帰国
そうして十数時間後、日本に到着。家族が揃って迎えに来てくれていました。家族に頼んで持って来てもらっていた黒服に空港で着替え、その足で法事へ行きました。
かなりハードスケジュールで、体力的にキツイところはありましたが、それでも親戚の法事に出席できて、お別れがちゃんとできたので、本当によかったなって思います。
海外留学する人にとって、こういう状況におかれることって、あると思います。そんな時、私はプラン的に保険が効かなかったけれども、大学の先生たちは全力サポートしてくれたし、人によっては保険がカバーしてくれるようだし、航空会社もかなり理解があって協力的だったので、ちゃんと、都度、事情を説明することが本当に大切だと思います。焦らず。だいたいどうにかなるので!
それではまた!
ゆうこば