ゆうこば アメリカ看護留学の記録

2017.08.13〜 アメリカの大学にて看護学を専攻していました。更新頻度は未定ですが、日々の生活やアメリカの看護のことなど何でも留学を通して見つけたことをどんどんここに記録していくつもりです!

Gannon大学へ編入!【準備編】

こんにちは。ゆうこばです。

 

色々あって、何をブログに書けばいいかわからずにいました。(笑)この際もうあったこととりあえず書きます。隠すことは特にないので。(笑)

 

これが留学のリアルだと思うので、留学を考えているだれかの役に立てたら嬉しいです。

 

Hesston Collegeをやめました

はい。そうなんです。実は、Hesston Collegeをすでにやめてしまいました。でも中退ではなく(中退とほぼ同じだけど)、次の学校に編入したんです。編入先は、ペンシルバニア州にあるGannon University(ギャノン大学)。私立の総合大学です。

 

というのも、そもそも日本で大学に行っていた頃の単位も合わせるとHesstonに移行できたものだけで合計33単位あり、Hesstonで受けた授業の単位が31単位、そして夏休みにBarton Community Collegeと言うコミカレのオンラインコースで受講したものが4単位で、合計68単位がありました。日本で慶應義塾大学に通いとった単位の中で英語等のものは移行できなかったため、実際のところはもっと単位持ってるんだけどなあ(小声)、って感じですが、それは言っても仕方ありませんよね。

 

で、アメリカはFreshmanやSophomoreって表現はもちろん使いますが、その概念は単位数を元にしています。

 

つまり...?

 

そう、私は単位数的には少なくともSophomore, 二年生が終わった段階なのです。

 

しかし、Junior, 三年生になると、すぐにコアクラスが始まってしまいます。そのコアクラスを受けるためにはGeneral Educationが完了していなければならず、その基準は各学校や州によって異なっています。単純に単位数が60単位を超えているからといって、すぐに三年生でとるコアクラスを受けることができるとは限りません。

 

とはいえ、編入先を見つけられるのであれば、何も無理にHesston College卒業して準学士号とる必要もないかな、と思いました。

 

いつか記事に書いたかもしれませんが、私は日本からの単位の移行もHesstonにできていたため、Hesstonは合計3学期で卒業できる予定でした。ですので、その可能性を残したまま、編入の相談をしにとある留学エージェントを訪問しました。

 

留学エージェントにて、衝撃の提案!?

留学エージェントへは、夏休みに日本に帰国している間に訪問しました。そこで、この旨を話すと、

 

「この秋学期からの受け入れに、もしかしたら間に合うかもしれませんよ』

 

...衝撃ですよね。さすがに次の学期はまだHesstonに戻る気満々で、荷物もみんな置いてきてしまってましたから。

 

「それって、残り2年間で卒業できるってことですよね?」

 

「はい」

 

「60単位持ってますもんね」

 

「はい、今までは成績をとることに集中してきたようですが、これからはNCLEXアメリカ版看護師国家試験のようなもの)の勉強に専念できますね」

 

このような展開で、一度持ち帰ったもののやはり考えても好都合だと言うことで事務所初回訪問から約1週間後には本格的に動き始めていました。

 

とはいえ、それが6月末。とっくに入学者も決まっている段階だったので、エージェントが直接大学と連絡を取ってくださり、キャンセル待ちをすることになりました。

 

願書の準備

編入とはいえ、大学は選抜を行うわけですからこちらも提出書類の準備をしなければなりません。

 

大急ぎで高校や日本の大学に足を運び英文成績証明書の手配をし、ネットからHesston Collegeの英文成績証明書も手配。志望理由書であるEssayも書き、去年健康診断をしたり注射を打った病院に去年のもののコピーをもらいに行ったりと、そこそこ大変でした。家族にも英文残高証明書を出してもらったりしなければならなかったし、保険も1年で更新しなければならなかったので比較的バタバタしました。

 

これは高校に書類を受け取りに行った時に記念に高校のチャペル前で撮影したものです(笑) 

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夏はアルバイトをしたかったのですが、日本帰国も急だったしいつアメリカに戻ることになるかわからない状態が続いていたのでできず。遊びの予定もあまり入れないようにしていたのですが、本当によかったと思いました。予定が入っていたらこんな風にすぐに書類を集めたりする時間は作れませんでした。

 

こうして書類をかき集めて提出をしたのですが、キャンセルがなかなかあかず、初めは

「7月の最初くらいには結果出ると思うよ」

なんてエージェントから言われていたのですが、そんなこんなで7月も終わってしまいました。

 

格通

格通知が来たのは、8月に入ってからでした。エージェントは多分いいお返事がもらえると思いますよ、なんておっしゃっていたけれど、もうギリギリすぎてHesstonに戻るだろうな、とも思いかけていた頃でした。

 

しかも、とっくに日本からWichita(Hesstonの最寄りの空港)までの航空券を取ってしまっており、それが8月11日でした。合格通知が来たのは8月に入って割とすぐだったのですが、行く先の大学のI-20という書類がないと入国できないので、Gannon大学からそれが届くのを待たねばなりませんでした。

 

でも、Gannon大学としても書類に関して動き出せるのは私の合格が決まってから。8月が始まってからやっと書類の準備が始まったのです。

 

Gannonから送られて来たトランスファーフォームを自分で書き込み、スキャナーで読み取ってHesston CollegeにEメール。それをHesston Collegeが書き込んでGannon Universityに送ってくれて、そこからやっとGannon UniversityはI-20を発行することができます。

 

I-20はEメールで送られて来たものをプリントアウト、というわけにはいかないのでアメリカから日本まで直接送ってもらいました。それを送ったのがなんと8月10日、私のフライトの予約の前日でした。

 

10日にエージェントの方と電話をして、どう考えても11日のフライトには間に合わないので変更することにはなるとのこと。その時は私がいつGannonに入寮することになるか決まっていなかったのですが、数時間後にまた電話が来て、20日に入寮することが決まりました。そのため、18日にフライトを変更して一度Hesston Collegeに行き、Hesstonに置いて来た荷物をまとめて(郵送準備をして)、20日の早朝5時ごろにWichitaを出発してGannon UniversityのあるErieという街に向かうことになりました。

 

考えようによっては、11日に終わると思っていた夏休みが突然「夏休み1週間延長です!」ってなったようなものなので、ラッキーといえばラッキーでした。

 

でも、ギャノン大学に入る人たちはもうとっくにオリエンテーションが始まっているのに私は急展開だったためオリエンに出席もできず、苦労したのはその後の話です。

 

 

そんなこんなで、私は今なぜかペンシルバニア州のGannon University(ギャノン大学)にいます。

 

この後の話のが厄介だったので、また更新します。

 

ゆうこば