今、私は日本にいます
こんにちは、ゆうこばです。
前回までの記録ではペンシルバニア州にある大学に編入した件に関してお話ししていましたが、タイトルにもありますように、今私は日本にいます。(笑)
えっ?
と、思った方。期待に沿った反応をありがとうございます(笑)
どういうことかと言いますと、Gannon大学、やめてきました。
...はい、そうです。入ったばかりの大学を1ヶ月を待たずしてやめて帰国してしまいました。「お前この間慶應やめたってお涙頂戴な記録残してたくせに意思弱えなあ!」と、お思いの方。お願いします最後まで読んでください(笑)
また、SchoolWithという留学系のサイトでアメリカ看護留学の連載をさせていただいているのですが、そこにGannon大学中退の件について、実体験を踏まえて「編入の際に気をつけるべきこと」にフォーカスして書いたので、そちらも合わせて読んでいただけたらと思います。
今回の記録では、記憶の限り細かく、体験したことを書いて行きたいと思います。
本編までが長くなりましたが、それでは聞いてください
”聞いてた話と違う”事件。
学生ページにログインできない!?
20日の夕方にGannon大学に到着し、最初の朝を迎えた21日。
この日は、午前中にグローバルオフィスに出向いてチェックインするように留学エージェンシーから伝えられていました。朝身支度を済ませてオフィスに行くと、簡単な書類を書きチェックインが完了。
そのまま隣のオフィスに連れて行かれてネットワーク関係のことをやろうとしたのですが、何か問題が起きてしまったようで私の学生ページのログインIDとパスワードがわからないと言われました。
...まじかよ。
だってアメリカの大学では(多くの日本の大学でも多分そうですが)学生ページを通して様々な情報が入ってきますし、そのIDやパスワードを使う機会が多くあるのです。
つまりこれによって私が制限されたのは、
・マイページのログイン
・大学メールの利用
・大学Wi-Fiの利用
・授業関連の確認
・お金の支払い
です。でも「明日までになんとかする〜」と言われたので、まあトランスファーもギリギリに決まったししょうがないなあ、って思ってその時は授業リストだけ頼んでプリントしてもらいました。この授業リストには、授業コード、教授名、開講曜日及び時間、そして教室番号が書かれていましたが、授業の正式名称は書いていなかったので、授業の大まかな予想はついても厳密に授業の詳細は分からず、もちろん教科書の購入もこの段階ではできませんでした。
1年生からやり直し?
グローバルオフィスに行った日は、アカデミックアドバイザーと会う日でもありました。
本当は学部ごとにまとまってアカデミックアドバイザーの元に行くはずだったのですが、マイページにログインできない私は自分のアドバイザーの確認もできず、グローバルオフィスの方と連絡を取って確認しているうちにおいていかれてしまい、少し遅れて集合場所まで到着しました。
この集まりはアドバイザーと全員が一対一で面談するものではなく、一人のアドバイザーにつき10人弱の生徒がついているのですが、そのアドバイザーごとに説明を受けるというものでした。
ですが、予防接種等に関する書類に関して話があると、集会後にアドバイザーから名指しで呼ばれ、私は残ってアドバイザーと話をする流れになりました。直接話すタイミングを見計らっていたのでラッキーと思い、書類に関する話が終わるとアドバイザーの教授に 今後の授業に関して質問がある と行って、アドバイザーのオフィスでそのまま面談をしました。
オフィスに着くと、私はアドバイザーに質問を始めました。
「今回のセメスターの大まかな授業リストはもらいましたが、今後の履修の計画を教えていただけますか?」
これに対してアドバイザーは、看護過程の1年次から4年次までの授業のカリキュラムを出してきて、このカリキュラム通りに進む、とおっしゃいました。
それを見ると、私がもらった今セメの受講リストは1年次のカリキュラムに載っているもののみでした。
あれ?おかしいぞ?
私はトランスファー生のはずなのに、これじゃあまるでフレッシュマンじゃない!?
そう思って自分が編入生だというと、Hesston Collegeのトランスクリプトは受け取っているが慶應のものは受け取っていないと言われました。
しかし実際に前日にグローバルオフィスを訪問した際に私のトランスクリプトは届いているか確認したところ、慶應のもの、Hesstonのもの、そしてBartonでのサマーで取ったものすべて受け取ったと聞いていました。
それをアドバイザーに伝えると、「今はまだ単位以降の最中だから今後どれだけ授業が免除になるかはわからないけれど、あなたは少なくともフレッシュマン同等よ」と言われました。
「私は後2年で卒業できると聞いてトランスファーしてきたんだけど?」
「残念だけどそれはないわ。4年間かかるわよ」
...聞いてた話と違うよ!!!
そう思いながらも、ここで粘っても仕方ないと思い、一旦持ち帰ることにしました。
授業初日、体調を崩す
22日、授業開始日。
朝起きて、すぐにわかりました。なんか変。体温を測るとやはり平熱ではなく、最初の授業だから休みたくないけれど、今日は頑張れないと思い、授業を欠席することに
...したのですが、大学メールが使えない上にレジュメの確認ができないため、教授にメールをする手段がありません。
仕方なく昨日のアカデミックアドバイザーに体調崩した件を話し、ほかの教授に伝えてもらうようお願いしました。
はあ、ヘストンでも最後の方に1日休んだ以外、体調不良で欠席なんてしていなかったのになあ。
と、出鼻挫かれた感に流石に多少落胆しました。
結局その翌日も一日休み、私が初めて授業に出席したのは24日でした。
この日の授業はPhylosophy(哲学)でした。ちなみに、マイページにログインできないために授業の正式名称はこの時まだ知らなかったので、実際に哲学の授業だと確信したのは教室に入った後でした。
授業後は、教室に残って教授の元へ行き、休んだ分の授業に関してや今後のテスト対策に関してのことなどを質問しました。休んでしまった分やマイページにログインできなかったりWi-Fiが使えないことによる授業課題の遅れが今後近いうちに出ることも予想して、現状を教授にわかってもらうことも目的の一部にありました。
この時、教授に「あなたの第一言語は英語?」と聞かれ、念のため聞いたということは明瞭ですが、それでもちゃんと自分英語喋れてたんだなあ、と嬉しくなりました。
督促状
もういつだったか忘れちゃったのですが、ある日寮に戻るとRAから1枚の紙を受け取りました。
見ると、「寮費を支払ってないため明日までに支払わなければ直ちに退寮させる」というような、明らかに脅しの手紙でした(笑)
笑い事じゃないです。だって、学校側の問題でIDとパスワードがわからないせいで学費や寮費その他学校関連のお金が支払えていないにも関わらず、督促状が来ちゃうんですもん。
その場ですぐに寮を出てグローバルオフィスに行き、渡された手紙を見せると、
「あなたは明らかに何も悪くないから、こちらからちゃんと事情を説明しておく」
と言ってくれました。はあ、一安心。
でも、あんな脅しみたいな文面初めて見たから、「うわあ〜こんなに普段スタッフの人みんな優しいのに、ドライなもんだな〜」とかちょっと思っちゃいました。
そりゃあ、確かに本当に寮費延滞するようなことがあったら大学側は困るので、何もおかしくはないのですが、ただ延滞サイドへの対応を初めて見たというか...
こんな対応されるんだなあ...延滞って絶対しないようにしよう...
と、学びました。
同時に、「当初は明日までにログインできるようにするって言っていたのに。流石にお願いだから早く復旧してくれないかしら?」という気持ちが強まったきっかけとなりました。
カフェテリアのおばちゃんと口論に?
これも、ログインできないのが原因で起きた小事件なのですが...
カフェテリアを使うときは、そもそも申し込んでいたMeal Planの情報がStudent ID(学生証)に入っているため、学生証をスキャンして利用します。
ですが、私はMeal Planを申し込んではいるものの、(マイページにログインできないため)食費をまだ支払えてはいなかったので、スキャンではカフェテリアの利用ができませんでした。
最初スキャンでできなかった時に、カフェテリアの方に「そこのオフィスに行ってどうすればいいか確認してきて」と言われ指されたオフィスに確認すると、紙に名前と番号を書いてカフェテリアを使っていいと言ってもらい、それ以来毎回紙に書いてカフェテリアを利用していました。
しかし、さすがに毎日紙に書いていて怪しまれたのか、ある時カフェテリアの方に
「あなたは学生証はないの?」
と言われてしまいました。あるけれど使えないから紙に名前を書かせてくれるようにたのむと、
「だめよ。Meal Planを払っていないと使わせられないの。あなたがどうするべきかはそこのオフィスに相談して」
「オフィスには以前相談したら紙にかけとおっしゃっていたのでそのようにしているのですが。そもそもわたくしは、テクニカルプロブレムのせいでマイページにログインできない事によって支払いができずにいるので...」
私が拙い英語で話している最中でしたが、カフェテリアの方は遮るように強い口調でこうおっしゃいました。
「いいからオフィスに聞きに行きなさいよ!」
「この前も伺ったのですが」
「もう一度行きなさいよ!」
「それは、食事のたびに行くという事ですか?」
「そうよ!!毎回よ!!」
「そのようでしたら、結構です」
...と言ったくだりです(笑)カフェテリアの方がなさった事は決して間違いではなく、彼女なりの仕事を全うしただけなのですが、私としては”お金を払わずに食事しようとしているセコイ生徒”という前提で話されているように彼女の態度から感じてしまいました。間違いなく彼女は私に、終始疑いの目を向けていました。
ここのカフェテリアは種類もあり美味しかったのですが、セコイ生徒のような扱いをされてまで食べたいとは思えなかったため、残念ですが、学校のカフェテリアとはいえ、もうそこで食事する気はこの時に完全に失せました。
より一層、早くマイページのログイン情報を復旧させて欲しいという気持ちが強まりました。
Gannon辞退の決意
以前アドバイザーに4年かかると言われて以来、留学エージェンシーと話したり親と毎日何時間も電話したりしました。エージェンシーにはそもそも「後2年で卒業できる。安心してNCLEX(看護師の試験)の勉強をしてください」と言っていただいてGannon大学に来ていたので、2.5年はまあ想定できたとしても4年は私としてはあり得ません。
だって、なんならHesstonに残った方がそれなら早く看護師になれたじゃない!(笑)
そもそも編入をこのタイミングで決定したのは3年生になれるという特別条件だったからなので、編入しなかった場合の今後の綿密に練られた計画を全部ぶっ飛ばしてGannon大学を選んで来たわけですから、マジ勘弁なわけです。
アドバイザーに4年と言われ、その後グローバルオフィスを訪ねて話をしたところ、実際に私が持っている単位数のことを考えると最悪でも3年であり、4年かかることはないと訂正されました。うまくいけば2.5年や2年になることもあり得るだろう、と。
もう一度持ち帰って考えて、4年かかるようだったら一度日本に帰って他のところへの編入準備をし、2.5年もしくは2年かかるようであればGannon大学に残ろう、と決めました。3年かかる場合に関しては決めかねていました。
その後もう一度グローバルオフィスに行った時、やはり最悪の場合は3年とのことで、やはり3年だとしても他のところを考えようかなあ、なんて思っていたところで、グローバルオフィスから 最終確認が入るからアカデミックアドバイザーに会え との指示をいただき、再度アドバイザーに会いに行きました。しかし...
「やっぱりあなたの場合は4年かかるわ」
えーーー。結局??
結局あの後、最初より単位の移行は進んだものの、2年次のカリキュラムに秋学期と春学期にそれぞれある授業のプレリクイジット(予備講座?それを取らないと受けられないみたいなやつ)を満たしていないため、結局ゆるゆるの時間割で4年間はかかってしまうというのです。
3年だったらどうしようって悩んでいましたが、もはや4年なら迷うことなく日本に帰れます。
そこで私は日本に帰ってトランスファー浪人することを決心したのです。
具体的には、志望校の幅を広げられるようにTOEFLをこの際ちゃんとした点数とり、同時にオンラインで多くの大学でプレリクイジットに指定している授業の単位を取得し、スムーズにトランスファーできるようにします。
倒れました
そんな感じで気苦労がまあまあある日々を送り、人生刺激ウェルカムな私でもさすがに平穏を求め始めた頃のある朝(笑)
腹痛と吐き気で目が覚めました。
これは一瞬のものなのか。でも眠いからこの体調不良に気づかないふりして寝続けよう。そう思っていたのですが、腹痛も吐き気も次第に強くなっていき、トイレに行きました。
トイレの個室に入ったはいいものの、耳に違和感を感じ、これは倒れる時の感覚だ!と確信。
個室で倒れては助けてもらえないし汚い!
そう思った私は、個室を出ました。
...あれ?
気付いた時には、トイレの個室を通り過ぎ、ちゃんとトイレ全体のドアを出たところのすぐのところで倒れていました。
やっばい、アメリカで初めて倒れちゃった。しかもトイレの個室でた覚えあるけど、トイレの部屋(?)からでた記憶ないし...
そう思いながらも、朝の7:30頃で、しかも一人部屋専用の寮(全個室にシンク完備)なので、人が誰も通らず、助けてもらうことができません。
とりあえずスマホを開いて同じ寮の日本人の友達数人に電話したりLINEしましたが、早朝から気付いてもらえるわけもなく。
近くの部屋のドアを2部屋ノックしても無反応。
これは、ここにいても仕方ないからひとまず部屋まで這ってでも戻ろう。
そう思って立ち上がったのですが、何步か歩いた辺りで、また倒れてしまいました。そこで、ドイツ人(?)の顔見知りの女の子がでてきたため、今倒れて具合悪くて部屋までたどり着けないから、と同じフロアの日本人の部屋をノックしてきてくれるように頼むもでてこず。その子も授業がすぐあるようで、ごめんと言いながら行ってしまいました。
でも、人と会話したおかげでアドレナリンが出たのか、ふわふわしていた感覚が落ち着いてきて、吐き気も治まってきました。そういえば視界が変だと思っていましたが、倒れた時にメガネが折れたようでした。
なんとか自室にたどり着くと、ベッドの高さが高く登る元気が無かったため、床に座り込んでいました。
私の部屋は快適にするためにラグを敷いており、靴を脱いで上がるようにしていたので、今回ばかりはこうして置いてよかったなあ、と思いました。
そうして座り込んでいると、日本人の友達が心配してきてくれて、その日は授業の合間を縫って看病してくれました。
他の友達も、薬をたくさん持ってきてくれたので、それを飲んでだいぶ良くなりました。
かなり心細い状況で助けてくれた友達に感謝です!
友達の誕生日パーティー
体調を崩した日の夜、私は翌々日の飛行機チケットを取りました。
Gannon大学に長居をしても、、、という気持ちから、今思えばもっと元気になってから帰国すればよかったのにとも思うのですが、かなり急なフライトの予約をしてしまいました。
なので、大急ぎでパッキングをしていたのですが、フライト前日、「これから◯◯ちゃんのサプライズ誕生日パーティーをやるから来なよ!」と誘ってもらい、急遽参加しました。
最後にGannonで思い出が作れてとっても良かったと思います。
日本帰国
日本帰国当日、誕生日パーティの翌日だったのでそのまま映画を見て寮のCommom Roomに残っていた友達がいて、そのうちの一人がお見送りをしてくれました。
早朝、なんとか詰め込み終わった荷物を持ち、寮を後に。
Uberで空港まで行って、セキュリティーチェックまでは記憶があるのですが、それ以外あまり覚えておらず、、、(苦笑)
乗り継ぎは確か、ターミナル着いた瞬間乗れるという絶好のタイミングだったのが、ラッキーでした。
機内のこともあまり覚えておらず、、、
覚えていることといえば、飛行機の中のトイレでドアを開けられたことくらいでしょうか。
私はぼーっとしていたらスカートがめくれているようなタイプなので、鍵を占めるとかそういう”注意しようがあること”はしっかり気をつけているのですが、鍵が壊れていたみたいなんですよね。
ドアがガチャって言った瞬間に大慌てでドアを引っ張ったのですが、それを上回るくらい全力で開けられてしまい。開けた方もびっくりしていました。(笑)
鍵直しといて〜〜って思いながらも、「飛行機でトイレ開けられるなんて、最高のネタができた」なんて思っちゃった私はバカですかね。
この辺までは良かったのですが、飛行機の体勢が辛いこととゔぉおおって音がずっとしていることと乾燥で疲労が困憊し、着陸した時には自分が覚えている最近の自分の中で最も不機嫌でした(笑)
家族が車で迎えに来ていたのですが、家族と車に乗ったことは覚えていても、そこからの道や帰ってからのことは何も覚えていません。(笑)
思い返せば不運続き
でした。飛行機でトイレ開けられてもふざけてられる私も、流石に帰国したときは「ちーん。」って気分になったのは事実で、帰国してから2ヶ月はほとんど何もしませんでした。
気に病んだというよりは、単純に疲れたって感じですね。なぜか体力もかなり落ちてたし。
でも今は毎日充実して日々を過ごしています。
先日受けたTOEFLは、1週間弱くらい英単語だけを勉強するという無茶苦茶な勉強をしたのですが、なぜかSpeakingの点数が一番高く、総合点は満足できるわけではないですがそこに関しては喜んでしまいました。
だってReadingとかの対策の方が受験勉強に近くてやりやすそうだし。
これからは、TOEFLの対策と並行して解剖学や世界史、日本史などをちょっとずつ勉強して行こうと思っています。
ブランクみたいな期間じゃないとやれないことで今までやれていなかったことがたっくさんあったから、今の期間は私にとってかなり楽しいです。
この期間中に自分自身がもっと肥えて、看護師の資格を持った時にそれを最大限に活かすことができることに繋がればいいなって思って日々が過ぎていきます。