ゆうこば アメリカ看護留学の記録

2017.08.13〜 アメリカの大学にて看護学を専攻していました。更新頻度は未定ですが、日々の生活やアメリカの看護のことなど何でも留学を通して見つけたことをどんどんここに記録していくつもりです!

KO大学、やめます!

こんにちは、ゆうこばです。

突然ですが、、、

 

私は日本で在籍していたKO大学を中途退学します!

 

驚いたでしょうか?正直、驚く人そんなにたくさんいないような気もするのですが(笑)

 

何が起こって中退を決めたか、書いて行きますね!

 

 いつ決めたの?

はい、最終決定を下したのは、このセメスターが始まってからです。

そもそもここアメリカに来た時は、2年間で日本に戻るという約束でした。でも、来て授業が始まって少ししたくらいの時期から、勉強がハードなこの暮らしになぜか”頑張りがい”を激しく感じてしまい、

「あ〜ここでずっと頑張って色々できたらなあ」

って心の中で思うようになっていました(笑)でも、アメリカで頑張っても結局日本で卒業する方が将来的にやりたいことができるなら、目の前の”頑張ってる感”に惑わされないで戻った方がいいのかなとも考えました。

 

考えていたら冬休みが来ました。

 

冬休みに、一回友達に会うのと事務室に用事があったために、一度KO大学に顔を出しました。その時にたくさんの友達と久しぶりに会って、想像以上に歓迎してくれて、

 

「うわあやっぱいいな〜」

 

って安心感がありました。でもそれと同時に、

 

「もう私はここに戻らないな」

 

って思ったんです。もちろん、単位移行の問題で前の学年に戻れることはないっていうのはわかっていたんですが、それというよりは、そこにいる友達の団結感がすごい増したなって。アウェイに感じたってことじゃなくて、その団結感ってきっとこの1年間でみんなが経験した実習とかがそうさせたんだなって思いました。だからこそ、そのとってもいい雰囲気の看護のみんなに全力で受け入れてもらえたのを感じて、

 

「すごいな〜なんかきっとめっちゃ皆頑張ってんだろうな〜」

 

って。そうしたら、今私が一番頑張れる場所、将来一番やりたいことにも繋げ得るアメリカで、私は私で頑張りたいなって思ったんです。

 

この時だけが決定的な決断の瞬間じゃないけど、KO看護に入った時看護を全然知らなかった私が、今看護の分野でこういうことを将来やりたいってはっきりして来て、もう頭の中でできていくイメージがどんどんアメリカverで出来上がっているから頑張るしかないなって思ったんです。

 

手続き

でもまあギリギリまでよく考えてから決断しようって思っていたんですが、1月、アメリカに戻って来てから母と電話していて、色々と事情を考慮した結果やめるならもうやめてしまおうという結論に至りました。

 

書類のことはありがたいことに日本にいる家族がやってくれて、私は必要最低限のメールのやり取りをする程度でした。

 

退学手続きの準備を進めていくと、どうやら大学との面談が必要とわかりました。もちろんアメリカからわざわざ日本に戻って面談するわけにはいかないので、Skypeで対応してもらえることに。

 

予定合わせのメールを送った翌日、Skypeに電話がかかって来ました。懐かしい先生と、事務室の方との三者面談。カメラをオンにしてテレビ電話しました。それが、一昨日の話。

 

最近はアメリカでどうしてますか〜なんて話をちょっとしてから、本題の事務的な話をし、やめる理由とか将来こうしたいな、なんてことををちょっと話したら、最後に先生から一言コメントをいただきました。私のこの留学を、応援してくださっていました。

 

感動。

 

後悔しないように頑張らなきゃなって。正直後悔はするタイミングはあると思うんですよ。(笑)だって冷静に考えて、KO大学にいたら自分次第で勉強だっていくらでもできると思うし、看護の仕事に限らず、ちょっとアルバイトするだけでも、大学名のおかげですごく面接でいい反応してもらえることが多々ありました。

 

しかも、よくよく考えたら、遊びながらも私の人生の大半はずーっと大学受験を中心に生きて来てたんです(笑)

 

幼稚園の時に医者になりたいって思ってからずっと。中学受験したいって言ってもさせてもらえなかったのは、「大学受験で医学部受験をするのに小学生のうちからそんなに勉強したら息が詰まっちゃうでしょ、遊べ!」っていう母の教えからだし(結局公立中高一貫校だけ受けさせてもらったんですが。落ちたけど(笑))、今まで辞めた習い事や部活も受験勉強したいから辞めたし、中学校3年間だって成績取るためにどういう風になればいいかって小学生の頭で頑張って考えて、入学式の初日の最初の学級タイム(?)からなんか質問して目立たなきゃ!って、

 

「先生!シャーペンって使っていいんですか?」

 

とかすごいどうでもいい質問絞り出したこと、いまでも覚えてる(笑)そのために習い事をやめたり部活をやめたりもした。

 

高校入って5月くらいに、私がなりたいのは医者じゃないかもって思ってからは、そんだったら高1くらいは遊べんじゃんって思ってめーーーーーっちゃ遊んで、でもちゃんと高1の2学期には塾にまた通い始めた。で、まあせっかく今まで勉強中心ではあったから、せっかくだから早慶の中からやりたいこと選ぼうって感じで高3のちょい前から本格的に勉強始めて。もうその後も大変だった!受験直前の12月に選択科目を日本史から数学に変えてそこから数学の勉強始めて...でもなんとか志望校のひとつに決まった。

 

医者になりたいから勉強してただけで特に元々頭がいいわけじゃないし、わかんないことだらけだったりちょっと嫌なことがあったり疲れたりするとすぐに頭が真っ白になって勉強してることが全く入ってこなかったりするタイプだからあんまり身になってないことも多く、ずーっと自分は頑張ってないからバカなんだって思ってたけど、冷静に今考えるとそこそこ頑張ってたかもなって思えています。

 

こうやって頑張ってこれたのは、全部私が勝手に好きでやってることで、やめようと思えば誰も止めない環境にあったからこそだと思うけど、だからこそ正直、日本の大学辞めちゃうのはここ何年も積み重ねたものぜーんぶ捨てちゃうようで惜しい気もものすごいします(笑)

 

でも、最終に「アメリカで看護学を勉強する」って当面の目標が明確に定まるためには確かにこのルートしかなかった。

 

医者になりたいって思わなければ勉強しなかっただろうし医療に興味持たなかった。

成績取ろうとしなければ、学校ほっぽって私立対策の受験勉強ばっかりして、きっともっと違った高校に行っちゃってた(高校への母校愛が強いので、母校に行けたことがまず最高)。

医者志望やめてなければ早慶受けなかった。

受験科目をギリギリに変えてなければもしかしたら、当時もっと志望度合いが高かった学部に合格してしまって、看護に出会えてなかった。

KO看護に行ってなければ、看護ってこんなにいろんな働き方があってちゃんと勉強することがたくさんあるって知らなかった。

看護の可能性を知らなければ、アメリカにくることもなかった。

 

...こう見ると、これ以上にない絶妙に必要なパーツをちゃんと拾えた人生。(笑)遠回りに見えるけどそこそこ上出来。お金はかかってますが近い将来全部回収します(笑)

 

そのためには、まずはここアメリカ、カンザスでしっかり成績とって、社会経験も積んで、「KO退学しなければ」って思わないくらいに自分のやりたいこと全部手に入れなきゃって思います。

 

ちょうどさっき、母からLINEが。

 

「退学届今日提出しちゃうよ」

 

今私が勉強したいことその環境、そして知りたい世界はアメリカにあります。だから、このままアメリカで頑張っていこうと思います。

 

以上、それにしても自己満足でしかないブログでした〜(笑)自販機のスタバ〜〜(笑)

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ゆうこば